メッセージ

3.11

あれから、11年が経ちました

皆さんは、あの日
どこで、何をしていましたか?

私は、東京の会社でその時を迎えました。
隣の建築中の高層ビルで、
鉄骨をつるしたクレーンが、グラングランゆれて
落ちないか、こちらに飛んでこないか
心配していたことを思い出します。

首都圏の交通網はあっという間に機能しなくなりました。
通信網も不通となって、家族との連絡もとれません。

会社のビルには被害はなかったので、
多くの人は会社に泊まりました。

私は、小学生を含む家族と連絡が取れず心配だったのと
翌日が土曜日で休みなので、
遅くなっても家に帰って家族の無事を確認したいと思い
30Km以上の距離を歩いて帰る選択をしました。

しかし、その前に準備は欠かしませんでした。
30Km以上歩くためには、
やみくもに出発はできません。

①歩きやすい靴であること
→ウォーキングシューズを履いていたので大丈夫。

②水を確保しておくこと
地震後すぐにコンビニでペットボトルを購入しました。

③状況把握できる情報源を確保すること
毎朝聴いているポケットラジオが使えることを確認。

④腹を満たしておくこと
「腹が減っては戦はできぬ」
まず、中華料理屋でスタミナ麺を食べて腹を満たしました。

⑤知っているルートを利用すること
横浜に向かう幹線道路は何度も車で走った道です。

以上を確認してから、歩いて横浜に向かいました。

高校時代にワンゲル部だったこともあり、
1時間に4Kmくらいのペースで歩けば
最悪10時間くらいで着けるのではないか
と踏んでいました。

幹線道路は、最初はものすごい人の波でしたが
横浜に近づくにつれ、人は少なくなりました。
夜もどんどん更けていって
家についたのは、結局午前2時でした。

でも、家について、全員の無事を確認して
ホッとして床に就いたことを覚えています。

あの震災で、地震や津波に会い
家族をなくしたり、家を失ったり
大変なご苦労をされた方々には
本当に心からお悔やみを申し上げます。

私の人生における、
最も長く、疲れた夜となりました。